死別の心理と援助活動

Bereavement -- Psychological Traits and Supports --

川倉地蔵尊(青森県)
Sainokawara in Kawakura 賽の河原(青森県五所川原市)  写真はイメージであり、論文とは無関係です
After psychological researches of bereavement by psychoanalists (Freud, Lindemann, and Bowlby) are reviewed, definitions of grief and mourning are discussed.
Mourning is culturally defined acts of grief. Grief is a normal emotional response to the loss of a loved person, which includes affective, behavioral, cognitive, physiological, and somatic reactions. It may represent distorted reactions in the causes of 1)bereavement situations, 2)psycho-social traits of the bereaved, 3)relationship of the deceased and the bereaved, and 4)family and social situations.
Types of support to the bereaved are classified into 1)Professional Care, 2)Hospice Care, 3)Voluntary Service, and 4)Self-Help Group(SHG). SHG (ex.Japan Death Education Society,Tokyo) has opportunities for sharing grief among the bereaved members. It is useful not only to prevent of pathological grief, but to promote to personal growth of the bereaved.
Finally, it is stressed that the helping professions should learn psycho-cultural traits of bereavement, and grope for the most suitable way of helping the Japanese bereaved.
はじめに
 I. 死別の心理
1. 2つの主要な研究
2. 正常な悲嘆
3. 病的な悲嘆
4. 悲嘆に影響を及ぼす諸要因
II. 遺族への心理的援助
1. 援助の4タイプ
2. セルフ・ヘルプ・グループ
おわりに
はじめに
人はいつか必ず死ななくてはならない存在であり,また愛する人や親しい人と死別しなくてはならない存在でもある。社会の急激な変動によって人の死も様々な形をとるようになったが,それは同時に様々な死別の形があるということでもある。長寿を全うしての安らかな死があれば,若くして病気,事件,事故によって引き起こされる死もある。こうした死をめぐっては,様々な人々の死別と悲しみの形がある。
本稿の目的は,第1に様々な原因によって死別した人々の心理状態を概観し,第2にこうした人々ヘの心理的授助のいくつかのタイプを概観することを通して,日本的援助のあり方を探る手がかりをつかむ一助とすることにある。
遺族の心理を考察する上で重要なことは,故人が遺族にとって身近であればあるほど,死別という出来事がその人の一生において重要な転機となることである。遺族の中には,悲嘆に沈む中で心身に重大な影響を受け,何らかの障害を引き起こす人がいる。幼児期の喪失・離別体験が,青年期以降に精神障害として発病することもある。しかし,身近な人の死を乗り越えることが,遺族各々に“人間的成長(Personal Growth)”をもたらすことも否定できない事実である。本稿ではこの事実をふまえていることをまず述べておきたい。
末期患者の全人的ケア・プログラムであるホスピス(Hospice)では,欧米においては,遺族へのケアは末期患者へのケアと同様に重要であり,1枚のコインの両面のようなものとして認識されている。1)しかし日本では,遺族自身に心理的援助を求めるニーズが少なく,2)医療スタッフにもその必要性を認識している者は(欧米と比較して)ずっと少ない。3)それ故,第2章ではこうした社会的状況の中で可能な授助のあり方を検討していく。
I.死別の心理
配偶者や家族といった愛する人を喪った時に表される, 最も特徴的な心理的反応は悲嘆(Grief)である。
情緒(Emotion)の一要素としての悲嘆は,心理学的に考察する場含,まず基礎心理学的な側面からみるのが順序であろう。しかしながら,情緒に関する基礎心理学的な文献においては,悲嘆に関する研究はおろかこの言葉でさえほとんど見出せない。それは実験的手法による情緒の一般的な研究では,人を極限状態において悲嘆を引き出すことに社会的・倫理的な反対があり,情緒の研究と密接な関係にあるモチベーション(Motivation)のパラダイムを用いて悲嘆を説明することが困難なためである。1)
進化論の提唱者であるダーウィン(Ch. R. Darwin)2)は,生物学的視点から動物,幼児,成人の悲嘆を比較観察し,筋肉の動きと顔の表情に,三者に類似する点があることを明らかにしている。またローレンツ(K. Lorenz)3)の発見は,悲嘆は種の存続に必要な絆の形成と維持に関係している生物学的な現象であることを示した。
悲嘆の研究に大きな貢献を果たしてきた別の流れは精神分析学である。この流れにおいては,フロイト(S. Freud)以来,対象喪失(Object Loss)4)に対する正常な反応である悲嘆は,病的な反応であるうつ病と対比されながら論じられてきた。正確にいうと,正常な悲嘆反応を比較対象としながら,うつ病の病像を明らかにしようと試みられてきたのである。
1.2つの主要な研究
A.フロイトによる精神分析学的研究
フロイトは1916年に公表されたエッセイの中で,人は死別するとなぜ悲しいのかという問題を提起したが,そこではこの理由を心理学的に解釈することは非常に困難であると結論した。5)フロイトは後に,息子を喪ったビンスワンガー(L. Binswanger)ヘの哀悼の手紙(1929年4月12日付)6)において,人は愛情を寄せる人と死別したからこそ悲嘆を感ずるのだと述べるに至っている。心理的距離の近い人であればあるほど,その人の死は激しい悲嘆をもたらすというこの主張は,悲嘆の臨床心理学的研究すべての基礎となっているのである。
愛する人を喪った時,人はいくつかの特徴ある反応を表す。7)深刻な苦痛に満ちた不機嫌,外界への興味の喪失,愛する能力の喪失,(故人の思い出に関すること以外の)あらゆる行動の制止である。遺族はこれらの反応を表しながらも,無意識的欲求はそれを乗り越えるように導く。“Trauerarbeit”8)と名づけられたこの一連の作業は,次のプロセスをたどる。愛する人を喪うと,その人に向かっていたリビドー(Libido)は行き場を失い,内的葛藤が生ずる。喪失という現実から目を背けることで愛する人は妄想の対象となり,それに執着し続ける。この間に愛する人との思い出が育てられ,リビドーはそれに向かい始める。思い出が前面に押し出され,対象に向かっていたリビドーはそれから解放される。すなわちこの作業は,故人に向けられていたエネルギーを無意識下でゆっくり引き上げ,故人との思い出に育てていくプロセスといえる。これこそ遺族にとって必要な“心的任務”9)なのである。
B.リンデマンによる急性悲嘆の研究
どちらかというと長期的なプロセスに着目したフロイトに対し,死別後数日から数週間の短期間の心理状態に着目したのがリンデマン(E. Lindemann) 10)である。彼は戦争や災害(1942年11月にボストンで発生した大火)によって近親者との急性死別の状態にある人々に臨床的な介入をすることにより,被災者の心理的反応を“正常な悲嘆(Normal Grief)”と“病的な悲嘆(Morbid Grief)”に分類した。
正常な悲嘆は次のような諸症状を含んでいる。
i)身体的症状
身体的苦痛感,のどの緊張感,息切れを伴う窒息,ため息, 胃が空になっている感じ,筋肉に力が入らない,緊張や精神的痛みなどの強烈な主観的苦痛
ii)生理的症状
呼吸障害,疲労感,消化に関する諸症状
iii)心理的症状
故人の面影にとりつかれること,罪責感,敵意反応,行動パターンの喪失
このような反応を表す人は,故人への束縛から解放され,故人のいない環境に再適応し,新しい関係を形成していく“グリーフ・ワーク(Grief Work)”を行う。この積極的な作業を精神科医らが分かちあっていくことにより,約4〜6週間のうちに激しい悲嘆反応は治まる。
患者の中には病的な悲嘆反応を表す者もいた。この反応は正常な悲嘆が遅滞するか,歪んだ状態を呈する。このような反応は専門家,家族,宗教家などが協力して援助することにより,正常な悲嘆反応に修正できる。
リンデマンによるこの研究は,慢性的に嘆き悲しんでいる人に対するアプローチには欠けているが,急性死別による危機(Crisis)11)の状態にある人の心理的反応については先駆的な研究である。急性悲嘆反応はある程度一定した予測可能な症候群であり,すみやかな援助活動によって深刻な精神障害に陥るのを予防できるという主張は,その後,危機理論,危機介入の方法論,さらにこれらを包括する予防精神保健及び地域精神保健の理論と臨床の基礎として評価される。
2.正常な悲嘆
悲嘆は外傷を受けた後の火傷のように,死別に対するごく正常で特徴的な反応である。12)火傷は適切な処置が遅れると悪化してしまうように,悲嘆も何らかの原因によって病的な経過をたどってしまうことがある。このように悲嘆は元来正常な反応でありながら,病的な悲嘆との対比のため“正常な悲嘆”と表現されることが一般的である。前節において述べたリンデマンらによる悲嘆の諸特徴は,正常な悲嘆のそれと重なるものであるといえる。
本節では悲嘆(正常な悲嘆)の特徴をさらに掘り下げる。
A.ボウルビィによる研究
入院のため母親から引き離された幼児を観察したボウルビィ(J. Bowlby)は,その後に幼児がたどる喪(Mourning)のプロセスは,成人が愛する人と死別した後にたどるプロセスと実質上同じであることを発見した。13)したがって,幼児の観察によって得られた資料は,そのまま成人の場合として用いることができるという。
ボウルビィは喪を愛する対象の喪失(すなわち愛する人との死別)によってもたらされ,通常はこの対象を放棄するように導く心理的プロセスと定義した。14)一方,悲嘆は各段階に伴う一連の主観的な状態であり,悲嘆は喪の次の15)どの段階においても表現される。
第1段階:麻痺(Numbing)
人は愛する人と死別した時(もしくは死の知らせを聞いた時),茫然とするかまたは案外あっさりとその事実を受容し,冷静である。しかしこれは現実を受容して冷静なのではなく,死という現実の衝撃が,自我の能力をはるかに上回っているため,自我防衛しているのである。遺族は次のようにいう。「お葬式の日は,泣く気にさえなれませんでした。」「自分でも驚くほど冷静だった。」「頭の中がボーとして何を考えたら良いか,何か夢を見ているのではないかと思いました。」このような状態は死別直後から通常数時間ないし1〜2週間まで続く。この時の冷静さは,その後,強烈な感情の爆発にとってかわる。
第2段階:抗議(Protest)
死の現実を認識し始める一方,意識的ないし無意識的に故人を思慕し回復しようという強い衝動をもつ。この衝動は涕泣,怒り,非難,失望などの形で表現される。特に特徴的なのは涕泣(Weeping)と怒り(Anger)である。落ち着きがなくなり(平静でなくなり)故人を探し求める(Search)。時にはあたかも故人はまだ生きているかのように振る舞い続ける。このような反応は数ヶ月から時には数年間も続く。
第3段階:絶望(Despair)
「失われた対象に結ばれたリビドーを示す追想や期待の度ごとに,現実は判決を下して,対象がもう存在していないのだと告げる。」16)死別という現実が勝利を収めることにより,自我は失望し故人と再会(Reunion)する望みは消えてしまう。故人に向けられていた行動は消失し,解体(Disorganization)する。これにより遺族は抑うつ的になり,周囲の状況を空虚に感ずるばかりか,自分自身も空虚な存在であると感ずる。落ち着きがなくたえず不安でもある。もし自らの自我の一部が崩壊したことを受容するなら,新しい対象17)に向けて自我を立て直す(再組織化する)ことができるのである。
第4段階:離脱(Detachment)
これまで故人に向けられていた行動は,この時期に至って修正される。しかし故人との関係の中で形成された価値観,目標などは否定されず維持され続ける。以前はふたりで決定していた事項もひとりで決定するか,他人と相談するようになる。この時,故人ならどういうだろうか想像し,思い浮かんだ考えは意思決定に重大な影響を及ぼすが,遺族自身はこのことを受容している。
B.デュルケムによる主張
ボウルビィによる上記の心理的プロセスは,どのような文化集団においても適用できるのであろうか。
人類学者や社会学者たちは,研究において常に文化差に関心を向けている。彼らは葬送の諸儀礼とそこでの遺族の行動についても様々な文化を注意深く観察してきた。この中のひとりデュルケム(Emile Durkheim)は次のように主張する。
「喪は,残酷な喪失によって傷つけられた,私的感受性の自然な運動ではない。それは,集団から課せられた義務である。ただ,悲しいから歎くのではなくて,歎かねばならないからである。それは,風習を尊重するために採るべく強制された儀礼的態度であり,個人の情的状態から,かなりの程度,独立している。」18)
喪とは社会・文化に課せられた儀礼的な態度であるとするこの主張は,人類学ないし社会学の立場からは当然の帰結である。
同様の現象に対する2つの異なる主張を述べたが,このように喪はまさに心理・文化的な経験であり,この現象を論ずる以上,心理的側面と社会・文化的側面の両面に配慮した定義づけと,特徴の記述をしていく必要があると考える。
C.喪と悲嘆の定義
心理学的に見た喪は,愛する人と死別した際に取られる行動であり,悲嘆の表現行動である。この行動は死別した人が死を受容し情緒的苦痛なく故人を心理的に再生できる状態になるまで続く。
一方,文化は遺族の悲嘆の表現方法や激しさにおびただしい影響を与える。その表現がなされるべき状況は文化によって規定されている。喪の期間は文化に特有であり,悲嘆の表現行動は文化のしきたりや習慣によって因習的に行われる。因習に従うことが,遺族の情緒を和らげる助けになるのである。反面,しきたりや習慣を強化する助けにもなっている。
すなわち喪とは,文化によって規定され因習的に行われ,愛する人の死後遺された者によって表される悲嘆の公けな表現行動なのである。
では悲嘆はどのような待徴を持ち,どのように定義されるのであろうか。悲嘆に内包される特徴は次のように分類できる。19)
i)感情的反応
抑うつ,不安,罪責感,怒りと敵意,孤独
ii)行動的反応
動揺,疲労,号泣,涕泣
iii)自己・故人・環境に対する態度
自己非難,自尊心の低さ,頼りなさ,絶望,非現実感,疑い深さ,対人関係上の諸問題(社会的関係の維持の困難,交友の拒絶,社会的任務からの撤退),故人への思慕,故人の行動の模倣,故人の理想化,故人への感情のアンビバレンス,故人を見たと固く信じる幻覚,故人の思い出への執着
iv)認知的障害
すばやく物事を考えることができなかったり,注意集中が困難となる。
v)生理的変化と身体的愁訴
食欲喪失,睡眠障害,気力の喪失,頭痛・悪心・嘔吐・消化不良・筋力の欠如・動悸・振戦などの身体的愁訴,故人と同じ症状(特に最期の病気の症状)の出現,薬物(アルコール,たばこを含む)摂取量の増加,病気に対する過敏
これらの特徴を含んでいる悲嘆は,死別に伴って感じられ,それ自体は文化による影響をほとんど受けることがなく,様々な反応が相互に影響しあいながら変化することが特徴の症候群である。死を現実として受容し,新しい対象関係を確立していくためには,何らかの悲嘆を感じ,それを表現することが不可欠なのである。
3.病的な悲嘆
悲嘆は死別に対するまったく正常な心理的反応であるが,何らかの原因によって悲嘆が病的な経過をたどることがある。病的な悲嘆(Pathological Grief)とは正常な悲嘆が複雑化した,もしくは歪められた状態をいう。具体的な表現形態として,遅滞した悲嘆と慢性的な悲嘆があげられる。これらはどちらか一方が発生する場合も,時間的経過をおいて両タイプが発生する場合もある。
A.遅滞した悲嘆(Delayed Grief)
このタイプの反応を表す遺族は,死は取り返しがきくと信じているので,死別後に激しい悲嘆を表現することはない。ところがかなりの時間を経過した後,悲嘆のほとんどの症状が表出される。それまでの間,悲嘆の表現は抑制されている。したがって死別直後の無感覚状態とはまったく異なった状態なのである。無感覚状態の人は死の知らせを聞いた時,「信じられない」と反応し何事も手につかない状態となる。これに対し悲嘆が遅滞している人は,死という現実を受容することはさほど困難ではない。喜んで受容し,まったく何事もなかったかのように振る舞う人さえいる。その後,故人の死の原因となった病気を患ったり,喪失感を伴わないうつ病に陥ったりすることがある。
遅滞した悲嘆はある期間をおいて必ず表現される。それは数週間後であるかもしれず数年後であるかもしれない。何の前ぶれもなく表現されることも,何らかの誘発因子によって公けになることもある。表現方法も様々であり,ムルソー(カミュの小説『異邦人』の主人公)のように極端な形をとることさえある。これらのことから,悲嘆の遅滞はその期間と表現の激しさが大きければ大きいほど,正常から逸脱しているとみなされる。
また,抑制された悲嘆は,異なる死別を経験することにより表出されることが知られている。以前の未処理の悲嘆が,最近経験した死別(ペットの死であっても)によってその全貌を明らかにする場合もある。
故人が死亡した年齢と同年齢になると,自分も同じ病気で死亡すると思い込む人がいることも知られている。
B.慢性的な悲嘆(Chronic Grief)
死別後も長期間にわたりずっと故人を思慕し続けるのがこのタイプの悲嘆である。不安,緊張,落ち着きのなさ,落胆,怒り,恨み,そして自責が著しい。この例は夫君アルバート公を喪ったヴィクトリア女王が代表的である。女王はその結婚生活において夫君に非常に依存していた。夫君の支持がなければ何事もなしえなかった。それ故,夫君の死は女王にとって耐えうる範囲を大きく超えていた。女王はミイラ化(Mummification)20)することによって悲嘆を慢性化させた。女王は悲しみ続けることが故人への義務だとみなしていたのである。
このような永久的な服喪行動は,故人は戻ってくると固く信じている現実否認の故になされる。この行動を中止することは,現実を認めることになってしまうのである。
自殺はミイラ化と並び慢性的な悲嘆の極端な表現方法である。故人と再会するための手段として(再会できるという思い込みのため),遺族は自殺を選ぶ。この行動を選ぶ人は,子供を喪った両親に特に顕著である。
4.悲嘆に影響を及ぼす諸要因
病的な反応はいったいどのような要因によって引き起こされるのであろうか。以下では,悲嘆の構成要素,激しさ,期間に影響を及ぼす諸要因を4つの側面に分類し,それぞれをごく簡単に述べる。
A.死別の状況
i)死別の急性
ガン疾患のようにゆっくりと死に至るのではなく,事故などによって急性に,もしくはごく短期間の闘病期間を経て死別する場合,遺族は故人が死に至る原因とプロセスを十分に納得できないため,死という現実を受容することがより困難である。まさに「夢のよう」であり,まったく「信じられない」のである。時がたつにつれ,死に至るプロセスを理解するようになり,この時から悲嘆が始まる。
ii)病臥期間
闘病期間が長期にわたると,介護による疲労がたまってくる。介護による極度の疲労は共倒れをまねき,家族関係の悪化,ひいては崩壊にまで至る。しかし一般的に,適度に長い闘病期間は夫婦・家族関係を高めつつ死の時を迎えるのに役立つ。
iii)死因
その死が自然死に近ければ近いほど悲嘆反応への影響は小さい。他殺(暴力),自殺,事故死,災害による死,戦闘行為による死などは遺族に怒りと罪責感をもたらし,悲嘆は複雑化しやすい。ガンは罹患すると回復が難しく,再発すれば必ず死亡するというイメージがあるので,“ガンによる死”ということ自体が悲嘆に影響を及ぼしている。ガン告知はインフォームド・コンセント(Informed Consent)への関心とともに社会的な問題になっているが,告知しようとしまいと,告知したこと(しなかったこと)に対して,死後,遺族はそれでよかったのだろうかと後悔し,罪責感を抱くものである。
iv)介護の有無
患者に生前十分な介護ができたなら,「自分もがんばった」「一緒に戦った」という満足感を抱くことができる。
v)死亡場所
自宅や病院といった屋内ではなく,屋外で死亡した場合,その死は異常死とみなされる。このような死では,故人の霊は浮かばれず,成仏していないとみなされるので,屋内での死よりも頻繁に慰霊される。
B.遺族の特性
i)健康な自我能力21)
健全な自尊心を持っていない悲観主義者は,自らの将来に大きな不安を抱きやすい。いつかは悲嘆を乗り越えられると信じられる能力は,遺族にとって重要な資源である。
ii)良好な人間関係を形成する能力
人間関係の形成が困難な人は,大変な苦労をして形成した人間関係を喪失すると,その人に向けていたエネルギーを引き上げることが難しい。さらに新しい人間関係を形成することも困難である。
iii)年齢
年層に比較して60歳から65歳以上の高齢者は,死別を経験しても精神的な動揺が小さく,抑うつ的になりにくい。高齢者は外出せず家に引きこもりがちで,孤独になりやすい面がある。
iv)思考の柔軟性
自分のまわりの状況に固着し,距離を置いてみることのできない人は,新しい解決策を見出すことが困難であり,慢性的悲嘆に陥りやすい。
v)健康状態
身体的・精神的に健康でない人は,死別の危機を乗り越えることが困難である。身体的に病弱な人は,死別が原因で病気が悪化することがあり,また精神障害の既往歴のある人は病気の再発がみられることもある。
vi)性別
多くの調査で男性よりも女性の方が死別後の心理状態の経過は思わしくない。しかし筆者の印象では,死を現実としてあきらめ,あっさりとしていることが多いのも寡婦である。俗に“女やもめに花が咲く”というように,長年の妻役割から解放され,ひとりの女性として人生を楽しもうとする人も多いようである。
悲嘆の表現方法においても性差がみられ,社会的にも男性は公けに悲嘆を表現すべきではないとみなされている。「人前では泣かないようにしていたので,おじさんからはしっかりしているといわれたけど,やっぱりひとりで部屋にいると“うっ”と(こみあげて)きたよ。」とは父を喪った息子の言葉である。
C.故人と遺族との関係の性質
i)故人との関係
故人と遺族はどのような関係であるかは,悲嘆の重要な決定要因である。幼い子供との死別,配偶者との死別は激しく長い悲嘆をもたらす。
ii)アンビバレントな人間関係
故人との間にアンビバレント(両価値的)な関係を形成してきた人は,自らの憎しみが死を招いた,早めたのではないかと思いやすい。この人は罪責感を感じ,良心の呵責に責め苛まれる。
iii)依存的な人間関係
欧米では,故人にいつまでも思慕の念を抱いていることは病的であるとみなす。生前,故人に精神的な支えを受けなければ何事もできなかった人(例えば,前述したヴィクトリア女王)は,死別後,慢性的な悲嘆に陥りやすい。悲嘆の中にいることを喜ぶ人は,慢性的な悲嘆からの回復は困難である。日本では,遺族は故人の存在をいつも近くに感じているため,22)欧米よりも悲嘆が慢性化する傾向が強い。しかしこれが日本人の悲嘆の特徴であり,遺族がいつまでも悲しみの中にあるのを,即,病的であると判断することはできない。
D.家族,社会の状況
i)近親者や友人の存在
死別直後には葬儀のために多くの人が遺族のもとを訪れるが,この訪問は多くの場合儀礼的である。遺族にとって支えになる人は,死別直後は親類縁者であるが,時間の経過とともに親類よりも友人の存在が大きくなっていく。死別経験のある友人であれば,同じ悲しみを共有できる。
ii)子供の有無
配偶者が死亡した後,子供の存在は生きがいないし慰めとなるのであろうか。寡婦が高齢で子供も成人しているなら,子供の存在は孤独を和らげるのに有効である。23)しかし,遺族の年齢が若く子供も幼ければ,子育ての負担が遺族の肩にのしかかる。子供がいることで孤独は和らぐが,子育ての苦労で相殺される。幼い子供を抱えた遺族は,思わしくない経過をたどりがちである。24)
iii)役割タイプ
家族成員各々が遂行していた全役割に占める故人の役割の比率が大きすぎると,役割の再分担とその遂行が困難である。
iv)社会経済状態
一家の大黒柱の死は,遺族の経済状態の悪化をもたらす。生活困難は“生活の中の潤い”を減らすことにもなる。このような状態から脱却しようと働きすぎたり,過重な労働に従事することで,身体的な健康の悪化をもたらすかもしれない。また,故人の死によって遺族の社会的地位が低下することがある。
v)生きがい
仕事にせよ趣味にせよ, 不安や焦操感を和らげるために打ち込める何かを持っているかということである。「子供だけが生きがいでした。」では,喪った子供にしかエネルギーが向けられないことになってしまう。
vi)故人の親族との関係
配偶者の死によってその親族との関係は疎遠になりがちで,悪化することさえある。接触の跡絶えがちな関係では,心の支えとならないばかりか,実際的な問題(遺産の処分など)の話しあいさえ困難である。
これらの要因はひとつでも不満足であると必ず悲嘆が複雑化するわけではない。単独であっても危険性を孕んでいる要因としては,死別の急性,健康な自我能力,アンビバレントな人間関係,依存的な人間関係の4つをあげることができる。これらの要因であっても,ひとつだけで病的な悲嘆に陥ることはまれであろうし,複数の要因が重なったとしても,深刻な状態になる前に周囲の者によって,また身体のホメオスタシス的機能によって均衡が保たれるであろう。
死別後の臨床的介入にあっては,遺族の身体的,精神的な健康状態,遺族を取りまく状況,社会資源などを的確に把握し,予防的処置を講ずる必要がある。
II.遺族への心理的援助
1.援助の4タイプ
遺族への援助活動を積極的に展開しているのは,イギリスとアメリカである。例えば1959年に組織されたイギリスの“クルーズ(Cruse)”1)がある。ここでは遺族のもつ情緒的,実際的,社会的なニーズに沿った総合的なサービスを提供しているほか,死別の心理に関する研究,死別カウンセラーの育成も行っている。
以下では,様々な死別時サービスを誰が援助の手を差し伸べるかによって4つに分類し,概要を述べる。
A.専門的ケア(Professional Care)
死別と精神障害に関する専門的知識をもち,臨床経験のある精神科医ないし臨床心理士等によってなされる対処的ケアである。より確実な手段であるが,この患者の多くは,周囲から精神障害を疑われ診察,治療を受けにきた人々である。うつ病を疑われ来院した人が,その治療の過程において死別経験について述べることにより,病気の原因に死別が大きく関与していることがわかってくる,という方がより正確である。しかし専門家は,患者のうつ病は“反応性うつ病(Reactive Depression)”であると診断し治療するが,遺族の悲嘆,喪について専門的知識を有している人は少ない。
B.ホスピス・ケア(Hospice Care)
ホスピスにおいてケアを受けながら死亡した患者の遺族に対し,ホスピスがそのプログラムの一部としてスタッフ及びボランティアが行う援助活動である。スタッフは遺族と患者の死の前から接しているので,心理的介入はより容易である。またホスピスでは,家族が患者を十分に介護できる環境づくりをしているため,死別後に極端な罪責感を抱くことが少ない。欧米のすぐれたホスピスでは,患者へのケアと同じ重みをもって遺族へのケアを実施している。日本の代表的ホスピスである淀川キリスト教病院ホスピスでは,手紙の交換,家族会の開催などを通して遺族との交流をはかっている。ホスピスを訪れたくなった時はいつでも希望がかなえられる,ということを遺族に伝えておくのを重視している。
C.ボランタリー・サービス(Voluntary Service)
選ばれたボランティアが,教育を受けた後で“素人カウンセラー(Lay Counseler)”として遺族を援助する。彼らは自ら死別経験のある人が多く,素人カウンセラーとしてよりも同じ経験をした者として遺族に接していく。例えばアメリカにおける“Widow-to-Widow Program”2)がこのサービスにあたる。日本にはこのようなタイプのサービスは存在していないようである。社会福祉の領域には,母子相談員と呼ばれる寡婦の様々な相談に応ずる人がいるが,彼女たちはその多くが自ら死別経験のある人であり,このタイプのサービスの提供者としての位置に近い。しかし彼女たちは,死別の心理やカウンセリングに関する専門的教育を受けているわけではない。
D.セルフ・ヘルプ・グループ(Self-Help Group,SHG)
死別を経験した者同士がグループを結成し,手を差し伸べあうタイプである。彼らは死別についての専門的な知識も,特別な資格も持っていない。援助する者とされる者,健常者と病者という関係ではなく,同様の経験をした者同士として慰め,支持しあう。SHGにも専門家による後援は必要であるが, 遺族は専門家による専門的洞察からよりも,参加している他の遺族から多くの援助を受けている。3)遺族にとってのSHGは,精神障害の予防,自立さらに自己実現のために特に有効である。SHGについては,定義を含め以下でさらに詳細に述べる。
2.セルフ・ヘルプ・グループ
SHGは共通の障害,悩み,目的,課題を抱える当事者が自発的に目的と対象を定めて組織化し,運営している組織である。参加者のひとりひとりは,その活動に主体的に参加し,自分の行動には自ら責任をとることが求められている。参加者はお互いに情報,援助,支持を提供しあうことで,精神的な自立と自己実現を果たそうとする。すなわちSHGの目的は,同じ悩みや障害をもつ者同士の仲間づくり,励ましあい,情報交換の場を提供することである。必要ならば自分たちの問題や目的を社会や関係機関に訴えることで,社会の理解と公的援助を得ようとする。SHGの背景には,自分たちの権利と福祉は自ら主張し,獲得するという思想が脈打っているのである。
より個人主義的な社会である西欧では,弱い立場の者が寄り集まり,自助しあうことを通して,最終的にはひとつの個として自立しようとする。これがSHGの最終目標であり,そのためにこそ慰めあい,社会に自らの権利を主張したりもする。一方,より集団主義的な社会である日本では,個は集団に埋没し,個以上に集団の普遍性が重要視される。このため帰属している集団を離れ,同じ立場・境遇の人々が寄り集まり慰めあう,権利を主張するという習慣は根づいてこなかった。また,“死んでしまったのだからしかたがない”“あきらめるしかない”という心性が,ひとりで悲しみに耐える原因となったといえる。ひとりで仏壇に向かって話しかける服喪行動は,故人との心理的なつながりを感じさせる4)とともに,遺族にカタルシス(Catharsis)をもたらす。この行動は集団で慰めあう方法の代替えを果たしてきたのであろう。
日本において遺族に対し援助の手を差し伸べ,遺族たちの集まりの場となっているSHGに,東京を中心とする「生と死を考える会」がある。この会は特にターミナルケア(Terminal Care)に関心を寄せる人や死別経験者によって組織されており,“だれでもが生と死について考え,学び,行動することのできる場となる”5)ことをめざして活動している。セミナーや研究会を開催しているほか,定例会,「子を喪くした親の集い」「さまざまな死別体験の語り合い」からなる分かち合いの会をそれぞれ月1回程度実施し,遺族が自らの感情を語る場を提供している。6)この会は,死別の心理に関する専門的知識を持つ援助者が関与している数少ないSHGのひとつである。
遺族にとってSHGが有効であるのは次のような理由による。 第1に,遺族は同じ経験をした人でなければ,自分の感情を決して理解できないと信じているためである。遺族と話をしていると,「体験した者でなければ,この気持ちは決してわからない。」という言葉を頻繁に耳にする。遺族の中には,遺族同士の集まりの場に死別経験のない人は決して加えようとしない人さえいるのである。 第2に,会に集まってくる人々のうち,同じ経験をしながらもある程度の期間を経過した人は,死別直後の人にとって,将来の自分の姿であるという点である。自らの悲嘆の激しさを異常ではないかと思いがちな遺族は,やはり同じような異常さを疑いながらそれを乗り越えてきた面前の人を見て,いつかは自分もこの人のようになれるのだという安心感を持つことができる。 第3に,SHGではより実際的な問題を遺族相互で共有できる点である。お互いが様々な問題をどのように克服したかを話しあう時,より説得力をもって伝わるであろう。そして 最後に,SHGにおいては,内部の人間関係がヨコの関係であるという点である。専門家と素人,年輩と年下というタテの関係ではなく,同じ経験をした者同士というヨコの関係によって,グループは運営されているのである。
これらの有効性は,決して専門的ケアのそれを否定するものではない。両者が相互の有効性を認めながら,独立して機能していくことこそ重要であり,望ましいのである。
遺族は,自らが生き残っていくために,利用可能な資源を総動員しなくてはならない。SHGはそのために有効な資源のひとつであるが,組織化と運営にあたっては,死別の心理に精通した専門家の後援がぜひとも必要である。病的な悲嘆反応を表している遺族を発見し,専門家の診察を受けるよう働きかけていくことは,その人にとっても,またSHGの健全な運営のためにも必要である。しかし前述したように,死別の心理に関する知識を持つ専門家は日本には非常に少ない。臨床心理的地域援助に携わる人の教育・訓練が急務の課題である。
おわりに
悲嘆は人間の情緒生活の中で最も痛々しい経験であり,立ち直ることは容易ではない。たとえそうであっても,悲しみから逃避せずに立ち向かい乗り越えていくなら,この事実はその人の人生にとって深く重要な意味を持っている。また危機に対する対処機制の強化という面からも重要である。
悲嘆を乗り越えることの肯定的側面を十分に認識した上で,死別の心理に関する理解を深め,そして日本人にとってどのような援助のあり方が適切であるかを模索していかなくてはならない。
さらに,社会が複雑化したことによって死の形も多様化し,その背後に様々に悲しむ遺族を生み出した。死産,乳幼児の死,流産,自殺,他殺,災害による死,過労死,そして脳死などはこの例である。こうした原因によって遺族となった人々は,病的な悲嘆に陥りやすい。彼らの心理について研究と援助活動を続けていくことは,さらに今後の課題である。